坂出第一高等学校 香川県 私立学校 食物科 ラグビー オープンスクール

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2022/09/01

坂出第一高等学校 大西 一嘉(平成8年度卒業)  No.1

坂出第一高等学校 大西 一嘉(平成8年度卒業)  No.1

料理を作る側から、調理師を育てる側へ
「調理師として働く」とは違った形で調理業界に貢献したい。
夢と現実を生徒へ伝え、強い調理師を

<profile.> 丸亀西中学校出身  卒業後、神戸ポートピアホテルへ就職。和食レストラン部門にて下積みをスタートさせる。大阪のすし割烹で修行を経て、割烹料理店のオープニングより勤める。平成21年より坂出第一高等学校の専任調理師に就任。料理研究部を創部し、企業や団体との商品開発・料理販売・舟盛パフォーマンスなど、食物科独自の様々な活動を指導。現在は募集・広報部長も務め、食物科の魅力を中学校にも発信している。

きっかけは「何となく食物科へ」
料理好きだったが、将来の夢は見えていなかった中学時代、部活に明け暮れた毎日でした。部活引退後に迫ってきた高校受験に慌てて進路について考えました。何となく気になった食物科を選び、何とか入学できました。思えば鍵っ子だった小学生のころ、両親が仕事から帰ってくるのを待ちきれず、玉子焼きを作ったり、お菓子でわらび餅を作ったりしていた記憶があります。自分にとって料理のハードルは他の人より低かったように思います。また料理上手で何でも手作りにこだわりがあった母の影響も大きかった気がします。食物科入学後は、実習で友人と競い合って「俺の方が上手い(美味い)。」など夢中で取り組みました。また検定に挑戦したり、クリスマス講習会で料理アシスタントを務めたり、とにかく実習の時間が充実してあっという間の三年間でした。いよいよ卒業後の進路を決める時期が迫り、当時は当時は他業種へ進む同級生もいましたが、料理の道以外は考えられず、日本料理一択って感じでした。まぁフレンチへのあこがれはありましたが、フランス語を覚える頭も無かったですしね(笑)

休み無しの仕事漬け
神戸のホテルへ内定をいただきました。入社して始めは神戸の山奥の研修施設に一週間こもって社訓や経営理念を覚えたり、電話の受け答えやサービス研修からスタートしました。やっとホテルに戻ったと思えば、次は宴会サービス、客室(ベットメイキングなど)、ランドリーなどを二か月研修を受けました。同期のなかには研修期間中に辞める人もいましたが、コミュニケーションが苦手だった自分には、専卒大卒も交じった50名ほどの同期と一緒に過ごせたことはとても刺激になりました。研修も終わり、いよいよ希望した和食レストラン部門への配属が決まりました。配属されたその日から毎日が必死のぱっちでした。学生時代に多少自信を持っていた包丁技術もまったく通用せず、「そんなんも出来んのか?」「いつまでかかっとるんや?」「食物科で何なろてきたんや?」と言われる毎日でしたが、技術面は仕方がない部分もありました。最初の困難となったのが『遅刻』でした。 ホテルに就職と言えど、現場は厳しい調理の世界です。ホテルの勤務規定など関係なしで、下っ端は最初に出勤して、退勤は最後。ホテルなので朝食もあるので泊り勤務の早番もあります。宴会調理などは早番と遅番などシフト制でしたが、日本料理は人不足とあって、早番も関係なしで早朝から深夜遅くまでクッタクタに働きました。結果的に疲れや寝不足のためにどうしても朝も起きれず度々遅刻しました。遅刻したら一番つらいのが無視でした。とりあえず厨房に入って大声で謝罪するも、誰も声をかけてくれません。自分のポジションには不機嫌な先輩が仕込みをしています。それでも必死で謝り倒して先輩の体を押しやって厨房に入らせてもらいました。そこで思いついた苦肉の技が「奥義!厨房の前で寝る」でした(笑) 逃げて辞めていく人もいましたが、不思議と辞める選択肢はよぎりませんでした。問題だった遅刻癖ですが、技術をつけて毎日作る料理にこだわってきたことで、責任ある仕事を任されるようになり、責任感ができると自然に遅刻をしなくなりました。そんなハチャメチャな日々の中で、一日一日に成長を感じれる下積み時代でした。

新しい目標と挑戦
毎日を必死で過ごしていた頃、独立する人から一緒に働く誘いを受けました。ホテルでの仕事も十分に経験が積めたと感じ、ホテルから離れ街店で働くことにしました。ホテルのように大きな舞台ではなく、少人数という事で、ドリンクや備品など料理以外のことを経験したり、仕入れや常連客など人付き合いも増えました。外から想像する以上に苦労も多かったです。結果的に街店での働いた経験は、人間性や仕事観など料理以外の学びの多い期間となりました。29歳になった頃、「母校で働く」というオファーを受けました。それをきっかけに、自分の将来についてや調理業界について考えることになりました。人付き合いの多い街店で多くの調理業界の人と関わり、給料面や人材不足問題、機械化やレシピ化、マニュアル化などの数々の調理業界の問題について自分なりに考えました。これから調理業界へ挑みたいと期待に胸を躍らせた若い世代に、無責任に夢や希望だけを与えるのではなく、現実的に起こりうる問題や本当に必要となる力などを伝えるという、自分だからできる調理業界への貢献方法と目標が生まれ始めました。世の中的に軽視されがちな調理師免許の持つ正しい責任をしっかりと理解させ、食物科から輩出した人材によって調理業界を向上させてもらいたいと期待してオファーを受けることにしました。

失敗の毎日と大きなやりがい
母校で務めて3年目くらいは苦労しました。授業プリント作成、生徒に合わせたメニュー考案、試験の作成、成績、部活動指導、全てが???の連続でした。毎日0時過ぎまで職員室で過ごしました。実習のメニューも生徒が作るとなると中々浮かばないものです。深夜2時や時には3時にコンビニから注文FAXを送りました。注文を受ける業者からは「先生寝てるの?」なんて心配される始末でした。それでも気づけば14年目となりました。当初のほどの物理的な苦労は無くなりましたが、生徒へ『教える』難しさと苦悩は減るどころか増える一方です。ICT化が進み、時代とともに教えるツールは充実されていくものの、技術という実技を伝えることは簡単ではありません。相手の能力や性格が違えば尚更です。ただ生徒が一番上達してくれる方法は、14年間経っても変わりません、それは『生徒のやる気』です。教えるこちら側のテクニックよりも、教わる生徒の熱意に敵うものはありません。現在、募集・広報部長を務める理由もそこにあります。学校説明会やオープンスクール、学校案内パンフレット、学校ホームページ、SNSを自ら作り、一人でも多くのその『やる気』を持った中学生にやる気のアプローチが届けばっと思っています。生徒は大きなやりがい、驚き、喜びを私に与えてくれます。高校3年間という短い期間ですが、きっかけやチャンスを掴んだ生徒は一瞬で大きく成長してくれます。もしチャンスを掴めなかったとしても、社会に出て問題につまづいた時に高校での経験を糧に問題を乗り越えてくれればと思います。それぞれの現場で信頼を重ね、大きな責任を任されたときに正しい知識で若手を指導し、お客様に安全で喜びや感動を届けられる人になってくれることを願っています。